人生を面白くする 本物の教養 (幻冬舎新書)

人生を面白くする 本物の教養 (幻冬舎新書)

教養のもう一つの本質は、「自分の頭で考える」ことにあります。著名な科学史家の山本義隆氏は、勉強の目的について「専門のことであろうが、専門外のことであろうが、要するにものごとを自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため。たったそれだけのことです。そのために勉強するのです」

教養とは、人生におけるワクワクすること、面白いことや、楽しいことを増やすためのツールです」

多くの人は早く読み終えたいがために「読み返す」ということをあまりしないようです。しかし、「読み返す」ことによって、最初は分からなかったことでもちゃんと分かるようになり、頭のなかへの入り方がまったく違ってきます。

「自分の頭で考える」際には、「腑に落ちる」という感覚が一つのバロメーターになります。本当に自分でよく考えて納得できたとき、私たちは「腑に落ちる」という感覚を抱きます。この感覚は大変重要です。

「私のような大学も出ていない年をとった無知な女でも、まだ道端に咲いている花の名前を一日に一つぐらいは覚えることができる。一つ名前を知れば、世界の謎が一つ解けたことになる。その分だけ人生と世界は単純になっていく。だからこそ、人生は楽しく、生きることは素晴らしい」

分厚い本から読み始め、だんだん薄い本へと読み進んでいく。これが新しい分野を勉強しようとするときの私の読み方のルールです。

日本人の教養不足の一因は、このような「手抜き」にあるように思います。端的に言えば、勉強不足です。わずかな努力を惜しんで、お手軽な「答え」に乗っかろうとする風潮が強すぎます。これでは「自分の頭で考える」ことなど夢物語です。

教養とは、人生におけるワクワクすること、面白いことや、楽しいことを増やすためのツールで

結局モノを言うのは、機密情報のようなものではなく考える力なのです。考える力があれば、普通に入手できる情報でも、それらを分析するだけで、これまで見えていなかった世界が見えてきます。それが教養の力であり、知の力だと思います。

物事を考える際には理屈だけではなく、常に数字(データ)を参照して考えることが重要です。数字に基づかない理屈は説得力を欠いていると疑うべきです

仕事や勉強ができる人は、横から見ていると頭がいいとか才能に恵まれているのもさることながら、自分のやる気の引き出し方がうまいというのが、私の実感です

勉強の目的について「専門のことであろうが、専門外のことであろうが、要するにものごとを自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため。たったそれだけのことです。そのために勉強するので

「私のような大学も出ていない年をとった無知な女でも、まだ道端に咲いている花の名前を一日に一つぐらいは覚えることができる。一つ名前を知れば、世界の謎が一つ解けたことになる。その分だけ人生と世界は単純になっていく。だからこそ、人生は楽しく、生きることは素晴らしい

西洋にはギリシア・ローマの時代以来、「リベラルアーツ」という概念があります。一人前の人間がそなえておくべき教養のことで、「算術」「幾何」「天文学」「音楽」「文法学」「修辞学」「論理学」の七つの分野から成ります。人間を奴隷ではなく、自由人にする七つの学問というのがもともとの意味合いで、日本語では「自由七科」とも言われます。

厳しいことを言うようですが、「どちらとも言えない」を選んでしまうのは、ほとんどの場合「考え不足」が原因です。本当は、その問題に正面から向き合って十分考えていなかったり、手持ちの情報が少なかったりするのが原因なのに、「それは難しい問題だから」と理由を置き換えて、自分を誤魔化しているのです。